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悠嶋トオルと福田悠太について ~舞台「REPAIR」の感想

ふぉ~ゆ~主演舞台「REPAIR ~アナタの人生、修理しませんか?~」が(たぶん)大好評のうちに閉幕した。大阪の梅田芸術劇場シアタードラマシティでの大千秋楽公演で、ラストシーンを終えたステージへ拍手を送りつつ何故かわたしも充実感を味わっていた。その理由はきっと自分の中での初日と大千秋楽の「印象の違い」にあった。

わたし自身、東京と大阪の公演を数回ずつ観劇した。繰り返してしまうが、初日と大千秋楽ではわたしの中でのこの舞台の印象が大きく変わった。とはいえ、残念ながら今回も福田さんしか見ることが出来なかった。けれど見た当初、まったく感想が浮かばなかったのだ。何も知らずに観に行って(初日公演なのだから当たり前だけど)、あまりの衝撃の大きさに言葉が何も生み出せなかった。一夜経ってからやっと落ち着いたのかTwitterではポエムを書き散らしてしまい、フォロワーの皆さまにはいつもながらTL上でご迷惑をおかけしていて申し訳なく思っている。

閉幕を見届けて数日が経った。やっと何かしらの言葉が浮かびそうなので、今度はブログでポエマーになろうと思う。もちろんのごとく感想の中心は福田悠太さんである。またあらすじなんかは他の方のブログや、Twitter等をご覧いただければ幸いだ。無論みなさん観劇済だろうとも思っているが。

 

 

福田さんには「トオル」という役が与えられた。高そうなスーツ(ネイビー×シルバー系のストライプ地のベストとパンツなのでおそらくスリーピース。スーツよりかは太いストライプのネクタイ、シャツは何色か忘れた)を着ていて、彼が自分より下の立場だと判断した人間のことを見下して、そんな人だから案の定プライドが高くて、初見だと序盤は本ッッ当に心底から嫌な奴だと思った。

まずこれが第一の衝撃だった。まさか福田さんがこんなに嫌な人間の役ができるなんて!? と驚いたのだ。これは今になっても本当に申し訳ないと思っていることだ。わたしは今まで自分が見たことのある一面だけで判断して、福田さんのことを完全に買い被っていたのだ。福田さんの中にある演技の引き出しの数なんて知らないくせに、「SHOCKのフクダ」と「羅針盤のアンリ」だけしか知らないようなものなのに、ああ今考えても恥ずかしいし悔しいし申し訳ない。わたしはもっと福田さんの可能性に目を向けるべきだった。つい目の前の出来事にいっぱいいっぱいになりがちで、その他を見ることが苦手ではあるけれど、まさか担当の可能性に目を向けていなかったとは失礼なことをしていたものだ。わたしは福田さん(そしてふぉ~ゆ~)の前に開かれている明るい景色を夢見ていたいのに。ということで、まずわたしのそこがREPAIRされた。

ステージに役者が出揃った。登場人物はたった七人。そのうち、四人がふぉ~ゆ~だ。他の三人はベテラン俳優と言って間違いない西岡徳馬さん、舞台経験豊富な林田一高さん、抜群の可愛らしさと表情で魅せてくれた唯月ふうかさん。この強力な三人にふぉ~ゆ~は支えられていたし、四人で一つの大黒柱を務め上げていたと思う。加えて演出の方も脚本の方も著名な方だ。こんな環境で四人が成長しないわけない。しかも羅針盤のような直球のコメディではなく、シリアスな要素も含まれたこの舞台。なおかつ四人に与えられた役は、本人のパブリックイメージには無いものだった。前述のとおり、知らなかった引き出しの中身を存分に見せてくれて、何でも重く捉えがちなわたしには非常に美味しい舞台でもあった。いちいち感動できるのでこんな世界も悪くは無い。

トオルというキャラクターは、賢い人間だ。「大学でスペイン語学科だった」というくだりがあるとおり、彼は大卒で正社員として自動車メーカーの広報セクションに配属され、数年間同じ部署で働いていたと台詞から予測できる。また言葉で説明はされないものの、トオルの頭の出来について察することが出来るシーンがあった。話すことが出来ない少女・ミクと白バイ警官・マコトが兄妹であることが明かされるシーン。ダイスケがマコトに「お前は何者だ」と詰め寄る時にトオルは「あのねぇ」と説明し始める素振りでダイスケに近付くも、勢いに負けてしまい口を挟むことが出来なかった。ここだ。少なくともトオルは彼ら二人が兄妹であることを察していたのではないかと思う。マコトの口から「俺や母さんがどれだけ……」という言葉もあったので、わたしも初見の時は「もしかしてこれは」と思ったものだし、おそらく皆さんもそうだったのだと思うが。これも、衝撃の一つだった。福田さん自身は大学に行っていない。いつかのぴたラジでも他の三人が大学に通っていたことに対し「いいなぁって思ってた」と言っていたように記憶している。そんな彼が大卒で、良いスーツを着て、しかも優秀な会社(レーシングチームがあるくらいだから、大きくて社員をたくさん抱えている一流企業なんだという妄想。何より自動車メーカーだし)に入社するなんて、もしかしたらあったかもしれない未来だし、または重く捉えれば福田さんが選択できなかった未来を演じている。そう思ったら「ジャニーズでいることを選び続けてくれてありがとう~~!!!!」と感謝せざるを得なかった。そして同時にサラリーマンの福田さんを疑似体験出来て、とても嬉しかった。スーツかっこよかったなぁ、でへへ。腕時計も左に嵌めてたし(普段は右にしている)、イライラして革靴のつま先を貧乏ゆすりしてるのも本当に嫌味なサラリーマンだった。

そして最大の衝撃は、トオルにとって最悪の知らせを耳にしたあたりから始まっていた。言わずもがな「監督にからかわれていた」ことが分かったくだりのところだ。

あんなにも意気揚々と階段を上り、部屋の中に入っていたトオルだったのに。扉を再び開ける時には笑顔なんて消え去って、無表情で階下のやり取りをぼんやりと見つめていた。一度あの顔を知ってしまうと、他のところがなかなか見れなくなる表情というか視線だった。初日でわたしが一番感動したのはここだった。嫌な奴から一転して、逆にこんな表情まで持ち合わせていたなんて。演技で涙を浮かべることが出来るなんて、やはり考えたこともなかったのだ。もちろんそれこそ自分のものさしでしか福田さんのことを見れていなかったということだ、今後への教訓にもなった。ステージ上のトオルはあんなにももったいぶって明らかにした自分の身分、つまり自分の居場所の証明書だった名刺を二階から落としていた。はらはらと空気に乗ってゆっくりと落ちていく名刺を見つめるトオルが、とてもさみしかった。しかも自虐めいた独白で他の者を寄せ付けない雰囲気を醸し出し、言ってるそばからおそらく監督や自分に対しての悔しさが抑えきれなくなったのか、「クソーッ!」と涙目で大声を上げる。つらかった。トオルの感情を考えてもつらかったし、それを演じている福田さんが涙目になっていることもつらかったし、想定外だと驚き混乱している自分も福田さんに対して恥ずかしくて、つらかった。

ただし、その涙目は初日から回数を重ねるごとに涙の膜が薄くなっていたような気がしていた。たまたまわたしが観劇した日、公演だけがそうだったのかもしれない。でももしそうだったとしたら、それはそれでショックだった。トオルという人間が変わるターニングポイントで、これ以上劇的な演出は無いと感じたのにそれが無いという意味でも、数少ない涙目の福田さんを見ることが出来るのに、という超自分勝手な意味でも。

そして「おや?」という疑問が拭えないまま東京公演が終わり、大阪公演が始まった。主演舞台で東京(つまりホームグラウンド)以外で公演が出来るというのは、彼ら四人の成長の表れだと思う。しかも「あの」梅田芸術劇場シアタードラマシティだ。しっかりと爪痕を残してほしいと念じ、大阪初日は遠い西の空を眺めていた。

実際にわたしが観劇した大阪公演は19日(土)の夜と、20日(日)の昼、つまり前楽と大千秋楽の二公演だった。これがびっくりするくらい良かったのだ。あくまで個人T期には、だが。もちろん東京公演から手を入れていたのかもしれない(個人的な東京楽は早々に終えていたので終盤のほうは分からない)し、本当に大阪公演からなのかもしれないが、台詞や動きが増えていたり分かりやすくなっている部分が多く、話の筋がより一層通っているように感じた。どうしてこういう流れになるのか、という部分がすんなりと納得できるのだ。個人的には東京で観ていた時には最後のオチへの流れが力技だと感じていたのだが、その部分も軌道修正されているように思った。

そして、福田さんの涙目も完全に復活していた。というか前楽の表情や演技が今までで一番良かったのではないか、と思っている。悔しさを抑えきれず、大きな声を出すことでしか解消できなくて。そんなことをしても意味など無いときっと聡いトオルなら分かっているだろうに、彼にはそうするしか術が無かった。その後の土下座だって、あれは彼の本心だったに違いない。悪いと思った時にはきちんと謝ることが出来るのに、今まではうず高くそびえ立っていた自分自身のプライドが邪魔だったのだろう。他人のせい、世間のせいにして逃げていたのに、もはや彼には誰のせいにもすることが出来ない状況となってしまったのだ。もちろん監督のせい、会社のせいと言うことだってできただろうに。きっと実際は「いい子」なはずなのだ。なおかつトオルは「申し訳ありませんでした」と言った後に「ゆるしてください」とも付け足していた。わたしはここがトオルの本質だと感じている。何だかんだ言って小心者なのだ。小型犬ほどよく吠える、という例えをわたしは聞いたことがあるがトオルもそれだ。怖いから、最初に言葉で武装しておく。そうするとそれに圧倒された相手が引いていく、すなわち孤立にも繋がりかねないが、おそらくそのせいもあってトオルは自分の居場所を欲していたのだろうと思う。だから「俺の存在が必要ってこと?」という台詞が効いてくるのだ。ダイスケにレーシングチームに誘われた時、あくまでポーカーフェイスでいたいのに口角が上がっていた(という演技をしていた)のをわたし達は見逃していないのだから。

大千秋楽後、カーテンコールでの挨拶。「リーダー、一言」と辰巳くんに話を振られた福田さんが「一言!」とだけ言ってマイクを回そうとしていた。感謝している人に足を向けて寝られないから、僕たちは立って寝ているとも言っていた。こういうことも彼なりの照れ隠しの一つなんだろうと思う。それが福田さんのキャラクターでもあるし、真面目な言葉で語る日が来たらそれはこちらの心臓が持たなくなってしまうから、わたしはそのままでいてほしいと思っている。またふぉ~ゆ~が他の共演者の皆さんに愛されているのが実感できてとても嬉しかった。林田さんの2ショットの話、唯月さんの「お兄ちゃん」呼び、徳馬さんのクリスマス公演の話。まさしく七人で、そしてスタッフの皆さんで作ってきた舞台なのだ。そしてこの四人は愛されるべき人たちなんだ、可愛がってもらうべき人たちなんだ、そして可愛がられる方法を知っている人たちなんだ。じーんとそんな勝手な思いに自分で感動しつつ、わたしはドラマシティを後にした。よく晴れた日曜日、千秋楽に似合いの日だと思った。

わたしが全体を通じて感じたのは、以下のツイートに集約されている。まだ東京楽すら迎えていなかったのに、我ながら重く受け止めすぎだと思う。

トオルはこれから良くも悪くも他人の人生に関わっていくのだと思う。新たな仲間たちと迎える、新たな生活が待っているのだ。今まで味わうことが無かった感情をたくさん味わい、反芻し、きちんと自分のものにしていってほしい。もちろんあのラストシーンから先は、(今までの勝手な妄想を棚に上げますが)こちら側の想像でしかないけれど辛苦を舐めあい、喜びを分かち合ってくれるはずだから。

初日と大千秋楽で舞台の印象が変わったと最初に書いた。それはもしかしたら福田さんの中にどれだけトオルが入り込んでいたか、ということにも所以するかもしれない。もちろん回を重ねるごとに、感情移入はより深く沈み込んでいくのだろうと想像はするけれど。とは言え、(とくに初見の)観客に対して序盤は嫌な奴だと思わせて、最終的にぐっと胸を詰まらせることが出来ていれば、それはきっときちんとトオルになっていたということだ。素晴らしいことだと拍手を送りたくなる。また今まで公にすることが無かった福田さんの中の引き出しを見せてくれて、本当にありがたいことだと思っている。わたしはそういう、知らない一面をどんどん見せてほしい。そしてそのたびに「してやられた!」と思いたい。打ちのめされて、また好きになりたいのだ。

 

 

以上が超主観的なREPAIRの感想だ。ここまで長くなるとは思いもしていなかったので、こんなところまで読み切ってくださった方がいるとしたら、その方に深くお礼申し上げたい。もし良かったらおそらく来年もこうしてポエムを綴っているので、またお目にかかれたら幸いだ。